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2015年6月 6日 (土)

「もしも、一つだけ願いが叶うとしたら?」

ある社会実験で使われた質問です。

壁で区切られた部屋に二人が座り、同じ質問に答えてもらいます。お互いにどういう人が隣に座っているかはわかりません。ただし、左側に座っている人はガンを患っている人です。

その答えの違いが、世界中で話題になっているのです。ここからは、2つの質問とそれを受けた回答を紹介していきます。

質問1
「もしも一つだけ願いが叶うとしたら、何をお願いしますか?」

http://tabi-labo.com/136541/two-simple-question/

日常への意識がかわります!是非、ご覧頂ければと思います。

2013年4月13日 (土)

こころへの贈りもの〜K-BALLET COMPANY Bunkamura

2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、及びその後の余震により心が折れていた!震災時は上海でのエキジビション準備で連日の徹夜状態で居た。

震災の知らせは、そんな時にもたらされた。携帯電話は不通状態で妻からのメールにて無事であることが
確認された!家族もミナ無事の知らせに安堵した。2ヶ月間のロングエキジビション開催と毎週末のワークショップ開催と何とか無事に終えることが出来ました。上海プロジェクトもほぼ終えていたことも有り上海からの撤収を決めてこの年の6月末に帰国した。
あれから、2年が経過しても復興は進まず政権も変わり日本丸は何処へ向って進むのか?折れた心は少しづつでは有るが前を向くようになってきていた。そんな時に昨日、K-BALLET COMPANY Bunkamuraへのお誘いを受けて出かけた。場内に着席して幕がああき先ずは、舞台美術に感動させられました。シンプルでありながらアート性に富んだ背景、フルオーケストラ、合唱、衣装デザイン、照明、細部に渡り研ぎ澄まされた演出、本当に心へ染み渡る感覚を感じつつエンディングを迎えた!スタンディングオーベーションが何度も繰り返され、舞台と観衆の一体感を感じていた。折れた心が蘇り始めているのを感じていた。心への贈りものに感謝!
芸術監督の熊川哲也を初めて知ったのは第17回ローザンヌ国際バレエコンクールにて金賞を受賞してからのフアンで有る。
今後の、K-BALLET COMPANYの活動に注視して行きたい。

2012年3月 7日 (水)

東日本大震災で現れた日本人の保身感!

まもなく、2011/3/11東日本大震災から一年が経とうとしている。
震災がおきた時、上海にてエキジビションの準備に追われていた。
第一報が入ってきた時、先ずは信じられない!しかし、情報がその期待を裏切り
悲惨な光景が繰り広げられている。
幼い頃、岩手県宮古市の漁港へは母と魚を仕入れによく連れていってもらった。
三陸沿岸は本当に美しいリアス式海岸で魚介の宝庫でもある。
この被災地への思いは今、「私に何が出来るのか?」できる事をすればそれが伝わる!
政府、企業、個人それぞれができる事をすれば復興はなされて行くはずでした。
しかし、1年が過ぎようとしている現在も瓦礫処理が一向に進まない!各地方自治帯の賛同が得られない
結果、このような事態を招いていることに「日本人の保身感!」を強烈に感じてしまう。人間は、誰しも自分や
家族身内を大切に思う心は当然である。この事を前提としても瓦礫焼却に対しては強烈に拒否してしまう
この現実をどのように心に納めれば良いのか?未だ、方法が見つからない。
私自身、東京在住にて石原都知事の敏速な対応を都民として誇りにも思うし、懸念されている放射能汚染
の問題もデーター開示を信頼してのことです。政府では無く、東京都の情報開示で有ることが信頼に値する。
下記の資料を掲載することでもう一度日本国全体としての痛みを共有して頂ければと思います。

「放射能で世界は終わり」という記事を作ろうと思えば簡単である。世界中の「原子力は人類の敵」と執念を燃やす学者からコメントを集めればいいだけだ。その主張がどれほど異様であっても、こと放射能に関しては世間の多くの人々は妄信してしまう。
 煽りメディアや似非学者たちは「福島のために」「子供たちのために」などと正義漢ぶるが、結果として、福島の人々に過剰なストレスを与え、「人権侵害」「差別」「風評被害」を助長しているだけである。 
 現実に11年4月には、宿泊施設で、福島から来た客に対して宿泊拒否が起きていたことを厚労省が発表した。また、中部地方のある公営住宅でも、福島県から避難してきた母子が被災者の受け入れ窓口で「一晩だけでも泊めてください」と土下座して頼んでいるのに追い返すことがあった。住民から「放射能に汚れた人を入れないで」という声があったからである。
 問題の所在は既存メディアだけではない。ネット上では相変わらずツイッターなどで放射能デマが凄まじいスピードで拡散している。新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科の碓井真史・教授はその背景をこう分析する。
 「人間は、自分が不安を感じているにもかかわらず現実には何も危険が起きていないという矛盾した状況を嫌う傾向があり、不安を裏付ける情報を集めようとする。これを社会心理学では『認知的不協和理論』といいます。“安全だ”と主張するよりも、“危険だ”と煽る情報が拡散しやすいのはこのためです。
 気をつけなければならないのは、集団で討論していくうちに、当初の意見がどんどん過激になり、極端に走る『集団極性化』の状態に陥ってしまうこと。そして、最も過激な“危険だ”という声だけを信じるようになり、反対意見をいう者がいれば、“安全デマ”“御用学者”と激しく非難して攻撃対象にし、セクト化してしまう。カルト宗教にも似た心理状態で、大変危険だ。こういう事態を助長したのは、メディアの責任ともいえる」
 むろん、報道や言論は自由であるべきだが、仮にもジャーナリズムを標榜するなら、最低限の事実確認と専門分野への理解がなければ「煽動」と罵られてもしかたない。各媒体の主義主張で事実がねじ曲げられるなら報道ではないし、ただ「売らんがため」に煽れば“活動家”の宣伝媒体に成り下がる。 放射性物質の拡散よりも、デマの拡散のほうがこの国の病理を深めている。

メルマガNEWSポストセブンより抜粋

 高レベル放射性廃棄物は、廃液にガラスを混ぜた「ガラス固化体」の形でキャニスターと呼ばれる円筒形のステンレス容器に収められて、青森県六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターに収納される。問題は、30~50年間同センターで冷却した後、これを地中深くに埋めるなどして最終処分しなければならないが、地震国日本で地下貯蔵が可能なのか、可能だったとしてどこに最終処分場を設けるのか、どこかの自治体が引き受けたとして、100~300年は常時監視しその後も最低10万年はそのまま置いておかなければならないという体制がとれるのか──等々、何一つ決まっていないことである。
 これは、核燃料サイクルを止めて使用済み核燃料をそのまま処分する場合も同じことで、それが原子力発電が「トイレのないマンション」と呼ばれるゆえんである。豪華なマンションにどんどん汚物が溜まって持って行き場がない有様を想像するといい。
 それ以前に、使用済み燃料の置き場もなくなりつつある。原発が3・11以前のペースで運転された場合、年間に約1000トンの使用済み燃料が発生し、各原発で冷ました後は中間貯蔵所に持ち込まれるが、その能力は3000トンであるのに対し、すでに2700トンが搬入されていて余力は少なく、そのため5000トンを貯蔵できる新中間貯蔵所を建設中である。
 また、もんじゅは、1967年の原子力長期計画で「1990年稼働」を予定していたのに、5年遅れで運転開始した途端にナトリウム冷却材が漏れて大火災事故を起こし、おまけにその実態を隠すためのニセのビデオ映像を作ったりして非難を浴び、長期にわたる停止状態を続けた。停止していても年間200億円の予算が必要な化け物である。おまけに、仮に完成したとしても、理論通り1.2倍のプルトニウムを再生するかどうかは分からないのだという。
 こうして、既に核燃料サイクルは工程の全段階でほとんど解決不能なトラブルに直面していて、全身骨折状態と言える。このうち、もんじゅを除く再処理と高レベル廃棄物の処理などに要する「再処理費用」は、電事連の2003年試算で19兆円で、その分は実は我々が払う電気料金に上乗せされて、標準世帯で月額約90円、負担させられている。馬淵は、官邸に申し入れなどして無視されるより、この90円の不払い運動でも起こした方がいいのではないか。
高野孟のTHE JOURNALより抜粋

東日本大震災ドキュメンタリー|瓦礫 GAREKI - YouTube

www.youtube.com/watch?v...2011年5月8日 - 3分 - アップロード元: wakuwakushimasyo
あまりに広い瓦礫の山の中を、ひらすら歩いた。 静かだった ... 東日本大震災 ドキュメンタリー|瓦礫 GAREKI .... 被災 ...


 

 

東日本大震災の際の津波被害によって発生したがれき量(推計量)を沿岸市町村別に、北から南に並べた図を作成した。データは内閣府のHPに掲載された「災害廃棄物処理の進捗状況」による。

       東北3県のがれき推計量は、約2,247万トン(岩手県約449万トン、宮城県約1,570万トン、福島県約225万トン)であり、これは阪神・淡路大震災の1.6倍、全国の年間一般廃棄物総量の2分の1に相当する(東京新聞2011.6.25)。

       各県の沿岸市町村の仮置き場への搬入済み量は、岩手県では合計で約252万トン(がれき推計量の約56%)、宮城県では合計で約565万ト        ン(がれき推計量の約36%)、福島県では合計で約61万トン(がれき推計量の約27%)である。一般廃棄物の処理は、本来、最終処分まで市町村の仕事だ が、震災に伴う市町村行政機能の低下も考慮し、一部県が代行している。また処理費の総てを国が補助する。今後の処理については、放射能汚染の影響がある福 島県の一部を除き、2012年の3月末までに総てのがれきを仮置き場に移す計画である(同上)。

       図の通り、市町村別には、がれき量が最も多かったのは石巻市の616万トンであり、東松島市の166万トン、気仙沼市の137万トン、仙台市の135万トンがこれに続いている。がれき量は、図録4363dで見た建設用地の浸水面積にほぼ比例している。

       7月12日現在で、がれきの仮置場への搬入済量の割合が15%以下と低いのは、福島県の福島第一原発周辺市町村である。

      

      沿岸市町村の災害廃棄物処理の進捗状況

                                                                                                                                                                                                                                                                                  
    がれき推計量
            (千トン)
仮置場設置数 仮置場面積
            (ha)
仮置場搬入済量
            (千トン)
搬入済量の割合
            (%)

            手
            県
洋野町* 20 1 3 20 100%
久慈市* 74 4 5 74 100%
野田村* 121 8 6 121 100%
普代村* 10 2 2 10 100%
田野畑村* 166 3 4 166 100%
岩泉町* 29 1 4 29 100%
宮古市* 860 11 26 443 52%
山田町 553 13 15 467 84%
大槌町* 276 17 27 145 53%
釜石市 762 11 19 203 27%
大船渡市 756 19 24 394 52%
陸前高田市 865 14 88 451 52%

            城
            県
気仙沼市 1,367 17 27.5 651 48%
南三陸町 645 24 17.4 250.6 39%
石巻市 6,163 24 100.8 1146 19%
女川町 444 5 6.1 155 35%
東松島市 1,657 6 71.8 460 28%
松島町* 20 4 3.8 12.3 62%
利府町* 5 4 1.4 3 60%
塩釜市* 251 3 5.1 74 29%
七ヶ浜町 333 1 4.2 230 69%
多賀城市 612 12 15 142 23%
仙台市 1,352 11 110 552 41%
名取市 526 4 12.3 480 91%
岩沼市 520 12 17.1 260 50%
亘理町* 1,267 4 41.8 590 70%
山元町 533 22 31.3 341 64%

            島
            県
新地町 167 8 11 48 29%
相馬市* 217 1 9.4 120 55%
南相馬市 640 8 45.4 183 29%
浪江町 147 0 0 0 0%
双葉町 60 0 0 0 0%
大熊町 37 0 0 0 0%
富岡町 49 0 0 0 0%
楢葉町 58 0 0 0 0%
広野町 25 1 0.4 1.4 6%
いわき市* 880 16 20 261 30%

      (注)*は搬入済量からの推計(それ以外は衛星画像の浸水区域等からの推計)
      (資料)環境省「沿岸市町村の災害廃棄物処理の進捗状況」(搬入済は2011年7月12日現在の県把握量)

      (2011年6月23日収録、6月25日コメント追加、2012年3月5日更新)

2012年1月29日 (日)

Internetがアート作品流通売買をも変える!

               
iichi HandMade in Japanhttp://www.iichi.com/people/S3306171

「ものづくり」を支援して行こうと、発足したのが 「iichi  」だ!アーテイストが作品を売買するためにはギャラリーと契約するか、アートディーラーを介して販売する。ましてや海外へのパブリシティと販売となれば個人でクリアーしていくには大きな問題をいくつも乗り越えなければならない。
私自身もファインアートフォトグラフィーを始めた当初、先ず、この問題に突き当たってしまいました。国内に関しては何とか出来ましたが海外ギャラリーへのアプローチと契約、作品送付と全てが英文にて作成しての提出でしたので30年前では全てが未知への第一歩でした。辞書を片手に作成したProfileも日本では、生誕時から始まり最終的に現在へと記載していくが、英文では、現在から生誕時記載へと続く。作品送付時にINVOICEを作成と全てがこんな感じでなれないことも有りかなりの時間を取られてしまう!
ギャラリー契約のほとんどが50%:50%の取り分で提示される。エキジビション開催時での条件としては先ず良いとしてもその後の販売比率も50%:50%で有るのが常識と成っている。これでは、アーテイストは作品制作に邁進していくには大きな負担と成っているのも事実です。現在、私のVintage printの価格は11x14インチサイズで2,200,US$にて販売されています。

※Vintage printとは、作家自身がすべての制作過程を行ないサインをいれて製作されたprintのことです。

※オリジナルプリントとは、プリンター専門者がプリントしたプリントでもアーテイスト自身が承認したプリントにサインを入
   れた作品を指す。

当然、コレクター及びファインフォトグラフィー愛好家にとってはVintage Printのコレクションに重きを置いているのも事実です。版画の世界では、作家と摺り師の共同作業は珍しいことでは無い。私、個人の意見としては、作家自身が
摺り上げてこそが作品と解釈している。
AMAZON.COM
日本人初めての作品集販売を国内東販、日販を介さずに販売するために米国 Amazonでの販売を行ったときにこれからのの流通の大きな変化を感じていた。1990年当時国内出版業界は否定的で受け入れる余地は無かっとと思います。
国内販売では、写真集の販売部数は5千部販売できれば大きな成果!と言われていた時期にワールドワイドマーケットでは10万部近い数字に跳ね上がっていたことでも認識のギャップがわかる。現在では、ネット販売に異議を唱えるモノは皆無で有る。現在も、世界中から個人的なネットでのアプローチが有り、20年以上たった今でも部数は少ないが売れている。この事から、アート作品をネットで個人的にリサーチして購入することが日常化しているのもうなずける!今や、ネット販売への参入無しでは企業ですら無視できない事実と成っている。企業広告戦略でのウエブサイト広告無しでは成り立たない。

最後に、今回参加することを機に海外ギャラリーとの取り決めと契約内容の変更等で以下の事が追加された。
               
iichi HandMade in Japan
http://www.iichi.com/people/S3306171            

1.ギャラリーでの販売されているサイズより2サイズダウンでの作品販売とすること。
具体的には、
※galleryPrintSize:11x14、16x20 inchSize(Price:2,200, US$〜3,200US$)
※iichi   PrintSize:10x12,8x10 inch Size(Price : 税別¥35,000 )

2.販売価格からエデションナンバーは記載しない。

3.gallerySizeリクエストの場合は、ギャラリー経由での販売厳守すること。

4.アーテイストRateアップした場合は、アップ率にての価格改正をすること。

5.ネット販売のN & iichi をサイン入れる際に明記。

以上、

PORTRAIT OF A SCENE 『無花果の木の下で 』全作品60点より抜粋販売作品掲載
I_reen6 I_reen5
Paris020 Paris009
Paris014 Paris018

Paris033 Paris038
Stillife1_2 I_reen3
            

2011年12月13日 (火)

肖像写真工房

久しぶりのBLOG更新です。
今まで何度かBLOGに掲載したことですが、メモリアルフォト撮影に私なりのこだわりが有、2011/10/1肖像写真工房を無事にスタートすることが出来ました!初めてのお客様は、私の小学生時代の同級生でカラーリストの素敵な女性です。慣れ親しんだ撮影とは言え、一番最初とは常に緊張でもあり、新鮮でも有りました。東日本大震災以来、メモリアルフォトを後世に残しておくと言う事が今回の肖像写真工房開設の大きな意味を持ちました。デジタルプリント(インクジェットによるプリントアウト)ではなく銀塩プリントに基本的にはこだわりました。一日3組み様しかお受けできない物理的、時間的な理由もこの基準厳守が為です。撮影前にゆっくりとお話し合いを行い、どのように撮っていただきたいのか?ご自分をどのように理解なされておられるのかも含めてのコミュニケーションを図った上での撮影へと向かいたいからです。今後、肖像写真工房を「人間素描の場」としていければ良いと考えております。
今回の肖像写真工房全てにわたり、自分自身での設計施工設備設置などをやりました。表札、インフォメーションボードに至るまで自作で致しました。サンドブラスト作業も今後フレームフィッテイングの際にガラスへネーム等のエッチング作業も施して行きたいと思います。
Dsc00013Dsc00009imageworks_cover@yahoo.co.jp
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2011年10月 7日 (金)

Steve Jobsが逝ってしまった!

2011年10月5日
アップルの創立者であり、取締役会長である Steve Jobs氏が逝去。56歳。
-数々の偉業を成し遂げ、新たな世界と感動を与えた、Steve Jobs氏のご冥福をお祈りいたします。

ハローmac ! モノクロの小さな画面に現れた最初の驚きと感動を今でも思い出す。子供でも使えるシンプルさが魅了した!PERFORMERになりカラー画面に、思い起こせば長い年月の付き合いになっていた。途中、Steve がAppleから離れた時にしばらくの間買い換えしていなかった。彼のいないリンゴには何か?心がときめかなかった。
Steveが復帰しておくりだされたMacは全てに輝きを放っていた。触れることが楽しい!生活が「ウキウキ」するのだ。利便性から発想しない。こんなことが出来たら生活が楽しい!人々の暮らしが豊かになれることこそがSteveの思いであったように感じる。
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2011年8月 1日 (月)

『銀塩写真へのこだわり』

生前遺影写真撮影への思い!

『銀塩写真へのこだわり』
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プリントの方法で、思い出の運命は変わる…水に強い「銀塩写真」

2011/3/11東日本大地震によって大津波が発生し、東日本沿岸部が壊滅的被害を受けてしまった。全て大津波によって奪い去られ、瓦礫の山を前に呆然とたたずむ人々、親族の安否、そして、探し求めるアルバム写真、婚礼写真、卒業写真、お祭り、修学旅行、遺影写真など全てを失ったとき人々が心の拠り所と気づいた存在が、写真でした!口々に『写真は、宝物だから』
せめて今、写真だけでも見つかればと人々が願う気持ちに応えるべきボランティアがいます。彼らは、初めの活動として避難所などのヘルプとして現地に入った。被災から2ヶ月が過ぎる頃から瓦礫の山、海辺、倒壊家屋跡などで無心に何かを探し求める人々を多く見ることになる。「我が家のアルバム」探しの人々でした。そのことを機に写真、アルバムを中心に探し集め一枚一枚を丁寧に真水で洗い、干して各地域の避難所で公開することで多くの人々が失ってしまった想い出を取り戻すことが出来ました。富士フィルム「写真救済プロジェクト」も企業とし活動を開始、しかし、最近のデジタルプリントは印刷なので水には弱く、昔ながらの銀塩写真、カラープリントが多く蘇りました。今回取り戻すことが出来た人々が『写真は、宝物だから』と実感を込めてつぶやいた言葉が心に残りました!
昨今、デジタル化の普及が席巻してinkジェットプリントが一般化しました。手軽さ、利便性が支持されたことは言うまでも有りません。広告、雑誌などには多様されて良い結果を出しています。
そもそも、写真とはどのような「もの」なのでしょうか?現在のデジタルプリントとは印刷との認識が無く、それまでの写真印画と同じと思われているのではないでしょうか?展示して鑑賞するためのポスター、ポストカードと同じではないでしょうか!
7年前にいち早くデジタル化を推進して撮影をスタートいたしました。2年間作品、仕事の撮影をいたしました。しかし、私の中で写真として受け入れることが出来ない長期保存、銀塩写真では200年近い存続率などは確認されて存在しています。2年間で仕事でのデジタルシステム以外をアナログシステムへ戻しました。この事は、論理だけでデジタルを否定することへの懸念も有り、自分自身にて体験、挑戦を経て出した私の写真への答えです。現在、日本写真館協会員のほとんどがデジタル撮影、プリント制作にての営業をされています。しかし、今回の東日本大地震がもたらした被災による写真の存続率の問題が今後人生の記録者としての写真館の意識も問われることとなるのではないでしょうか。
ポートレート撮影で生前遺影写真を印刷処理(inkジェットプリント)された「モノ」を葬儀霊安置されることへの拒否的感情が解消されないからでした。葬儀後も遺族の基で忍ばれるメッセージボード的役割をも果たし続ける大切な遺影だからです。
『可能な限りの長期保存』
現在の主要感光材料は、主に英国(イルフォード)ドイツ(テッテナール旧アグファ)米国コダック社フィルムにて撮影、現像、プリント、フレームフィッテイングなどを行なっております。お渡しするときの最終形態は、11”x14”インチ(約28x36センチ)写真サイズを16x20インチ(40,64x50,8センチ)ミュージアムボードブックマート(無酸性ボードベース版に4コーナー留に無酸性ボードオーバーマットにて開閉出来るように背綴じ、永久保存処理を施し(ニューヨーク近代美術館、世界主要美術館所蔵基準)に基づき制作いたします。プリント背面に制作年月日、撮影者、永久保存処理済みサインが記載されます。遺影撮影は、ご依頼主の方とのコラボレートの結果納得された結果にて最後のお別れを本人が弔問に訪れた皆様の心に語りかけるメッセージボードと解釈いたしております!
葬儀社からのオーダーはお受けいたしておりません。ご本人様からのご依頼による生前遺影写真撮影だからこそ伝わると感じています。
『撮影、納品形態と料金』
撮影:出張撮影にてご本人様の生活環境写場、又は、スタジオ撮影にて撮影後3カットセレクト。
料金:11”x14”インチ(約28x36センチ)写真サイズを16”x20”(40.64x50.8センチ)インチミュージアムボードブックマート仕様1点、他2カット 11x14(約28x36銀塩プリント、セレクト3カット+4"X5"(10.16X12.7センチ)デスクフレームサイズプリント3点、お渡し、標準撮影税別¥70,000,(出張実費経費別途請求)
額縁:¥9,800 ~¥28,000(全て無垢材仕様にて塗、ナチュラル、選択頂けます。)
撮影依頼で、ご自分を表現する事を是非大切に考えていただければと思います。
以上がPhotography-SHIMAの遺影写真撮影概要です。

ご意見、ご質問などございましたらご遠慮なくトラックバックにてお受けいたします。

 
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2011年5月26日 (木)

上海回想、鈴木いづみ

1973年春まだ浅い或る日、ブロンズ社編集長の藤岡さんから電話で頼みたい仕事がある!鈴木いづみ」を知っているか?と聞かれて、知っていますと答えた。ブロンズ社は、私の処女作品集「Every time I meet her」 (1972年)を出版してくれた恩義の有る出版社だ。新宿で待ち合わせて記憶が定かではないが代々木上原の鈴木のアパートへ向かう。会うのはこの時が初めてだった。ファーストインプレッション:デカダントとエロスが混在する中に繊細であどけない少女的な小悪魔を感じた!「あたしは天使じゃない」小説本のカバー撮影だった。挑発してくる彼女の会話は小説ネタにされてしまう女吸血鬼。だが、同じ蟹座で一つ年上、何処かカワイイ!
この時すでに阿部薫と半同棲、その後結婚した。阿部薫のライブも新宿ピットインへ聴きに行っていた。新宿が銀座、六本木とは違うエネルギーで満ちていた時代だった!
鈴木いづみは17歳の時に書いた小説が「小説現代」新人賞の次点に入選したことを機に1969年キーパンチャーとして伊東市役所に勤務していたが退職して上京後、ホステスやヌードモデル、ピンク女優を経て、1970年に「声のない日々」で第30回文學界新人賞候補となり以後作家として活動する。1973年にアルトサックス奏者阿部薫と結婚し一女をもうけるが、1978年に阿部は急死。その後はSF雑誌を中心に小説を書いていたが、やがて健康を損ねて生活保護を受けるようになり、1986年に自宅で首吊り自殺した。36歳没。
Suzukiidumi004tensi1


2011年5月22日 (日)

5月20日、「我愛ニー」で結婚ラッシュ !

5月20日、「我愛ニー」で結婚ラッシュ
中国では、ジューンブライドよりこの日が特別!それは、(5201314)の発音が「我愛ニー一生一世」(一生愛してる)と似ていることから、この特別な日が盛り上がりをみせている。結婚する人もいれば、ミニブログで「駆け落ち」宣言をする人もいる。 何はともあれ恋愛は、何かの?後押しとキッカケ?が必要なのかもしれないことの現れですか
F2011052015191300248廈門商報より


2011年5月13日 (金)

生前遺影写真撮影に寄せて!

昨今、いろいろな機会で話題になる生前遺影写真に付いて思うことは、自分自身と向きあうチャンスになれば良いのではと思っております。記憶に新しい出来事としては、キャンデーズのスーちゃんこと田中好子さん葬儀の遺影写真が彼女の微笑と弔問に訪れた方々への最後のお別れへのメッセージボードと感じられたからでした。もっと生きたい!その思いが強ければ強いほど死と向きあう思いも強い事を感じずにはいられませんでした。旦那様が撮影された田中好子は、共に生きた証にも受け取れました。長い間写真と向き合い生きて来た者として写真の本質に触れることが出来ました。突然訪れる死に対して心の準備をすることの難しさ!今回の、東日本大地震のような災害は避けようが有りません。しかし、日常と向き合い生きている中では知り得ることと思います。スーちゃんの場合は、闘病、退院、を繰り返しながらも今を生きたい思いを女優を続けたい!思いを抱きながら弔問に来ていただく方々へ深い感謝の気持ちをどう?伝えるか!東日本大地震で被災された方々への励ましをも含めて彼女の精一杯が溢れていた彼女らしい葬儀に受け取ることが出来ました。「生きることは、死と自分自身に向き合うこと」ではないでしょうか!
生前遺影写真とは、遺影ではなく今を感じて生きておられるあなたが写真を撮るときに少し襟をただして自分自身を意識してみるだけで良いと思います。日々写真を撮るときにこの事を思い出して下さい。
撮影者の意識も大切です!撮る側、取られる側の思いが写真に映りますから!家族、友人、恋人、様々な関係性、昔ながらの写真館など写真をもう一度生活の中に意識を変えて観てください!
きっと、今までと違った自分に出会えるチャンスだから。

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